【書評】現代社会に息苦しさを感じる理由と対策【仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える】

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コラム

こんにちは😃
今日は、AmazonのKindle unlimited無料で読める、泉谷閑示 著の仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える (幻冬舎新書)を読んで感じたことをまとめてみました!

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“仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える”を読んで学んだこと

現代は、物質的にも経済的にも満ち足りているはずで自由なはずなのに、なぜか感じる息苦しさについて考察・どう対処するかをまとめた書籍です。

いつの間にか物質的・経済的な満足がある種の飽和点に達してしまい、それはもはや私たちに「生きる意味」を与えることができなくなってきたことを示しているのではないかと考えられるのです。

私がこの本を読んで特に心に残ったのは、

・自我を復活させることがまず第1段階
・外部にやりがいを求めず、自分の心身に求める
・外部から消費することで、隙間を埋めない
・頭で考える、効率・便利なものと距離を置く
・自分の心身が欲していることに重視する
・日常の中で生きる意味を感じれるようにする
・今をしっかり生きる

と言うことです。

以下、いくつか引用しながらご紹介します。

なぜ自由なはずが、苦しいのか?

高度経済成長期などは、頑張れば頑張るほぼ上を目指せる時代でした。だからハングリー精神を持って活気がありました。
ただ、現在は普通に生活していても便利で贅沢をしなければ、ほとんどお金を使わなくても満ち足りています。
人間は、いざ自由を手にすると何を目的に生きていいかわからなくなってしまうということですね。
まさに、生きる目的を見失っていることが現代人が抱えている息苦しさと感じました。

かつて「不自由」だった頃に夢見ていたようなパラダイスなどではなく、一種の牢獄のようなものにさえ感じられるのです。

消費社会の受動人間

また、あらゆるものが気軽に手に入ってしまうため、あれもこれもと自分の心身外部のものを欲望の限り取り込みます。
Youtubuの動画、お菓子など現在依存症に陥ってしまっているのは、溢れるものをもっと手に入れたい、何かが足りないという現代病のように思えます。

物を次々に手に入れないと気が済まない。何か物足りないので、空腹でもないのに食べ物を詰め込む。

本書では、このような人物を受動人間として、警鐘を鳴らしています。

仕事探し=自分探しではない

また、外部に答えを求める行動として仕事探しに自分のやりがいを求めてしまうことも批判しています。
社会で必要とされる労働があり、それによって対価を得ることは、自分の生活を成り立たせるために必要なことだと思います。
ただ、その仕事探しに”自分のやりがい”を求めてしまうと、自分を偽って仕事をすることになり苦しくなります。

「真の自己」を外に求めてしまっていることと、それを「職業」という狭い範疇のものに求めてしまっているところにあるのです。

そもそも自分の心身ではなく、外部が求めている仕事にやりがいを求めては、だめだ。ということを述べています。

生きる意味を感じるためには?

それでは、生きる意味を感じるためには、どうすれば良いでしょうか?
本書では、その方法として下記を紹介しています。

一言で言うと答えはシンプルで、自分の頭(理性)ではなく、心身(感覚)に正直に生きてみることを実践すれば良いです。

①自我を取り戻す

子供のイヤイヤ期にもあるように、自我が芽生えてくると自分でコントロールしたくなるものです。
だから親から言われたことには全て反対します。自分で決めたいからです。

私たち大人の場合、家庭・職場・地位などにがんじがらめになって、自我を殺してしまっていないでしょうか?
まずは自我を取り戻すこと支配されていない、自分の自由意志で行動できることが第一段階です。
その上で、やりたいこと・やりたくないこと、好き・嫌いが出せる。

自我というものの自然な表明は、まずはこのように他者からの独立性を確保

状況によっては難しいかもしれませんが、頭で損得を考えず、自分がどうしたいかを振り返ってみましょう。

まずは、人生の「意味」を求める前に、「意味」を感知できる主体、すなわち「自我」を復活させることから始めなければなりません。

②頭で考えない

理性的であるからこそ、ここまで発展してきた人類ですが、頭(理性)ばかりに従っていると、損得しか考えることしかできず、本当にやりたいことが見つけられなくなります。

そこで本書では、できるだけ”本当にやりたいこと”を引き出すため、
・計画せず、即興で何かを決める。
・効率を求めず、めんどくさい事をあえてやってみる。
・継続しなくてもいいから、とりあえず興味のあることをやってみる。

を方法として提示しています。

このような効率主義を含む合目的的な思考は、ビジネスのみならず現代人の思考全般にすっかり浸透していて、私たちはどんな小さな選択であっても「それは何の役に立つのか?」「それは損なのか得なのか?」(中略)といったことを考える癖がついてしまいました。

「心」の向くまま気の向くまま気軽にやってみる。気が向かなければやらない。「継続」などと堅苦しく考えたりせず、ただ壮大な人生の暇潰しとして「遊ぶ」のです。

何か特別なことをする必要はなく、普段の生活の中で自分の興味のあること、効率が悪くてもやりたいことをやってみましょう。

③今、生きることを大切に

最後に、蟻とキリギリスの話を引用しながら、頭で考えて将来のことばかり不安視して、今をないがしろにしてはいけないことを説いています。

「今を生きること」をないがしろにしてまで将来に備えるのは、本末転倒以外の何物でもありません。

将来のためと全て我慢するのではなくて、時には今の心身に従ってみることも大切ですね。

まとめ

簡単ですが、読んだ感想をまとめてみました。
物質的・経済的に満ち足りて、なんでも自由にできる時代になってしまったからこそ、ではどこを目指すかが失われてしまい、息苦しさを感じてしまっています。
生きがいを外部(仕事・物)などに求めても、人間の心身は複雑なのでそれらで満たせるわけがありません。
外部に求めるのではなく、心身の声をしっかりと聞き、それに忠実に生きてみることで、日々の日常が新鮮に感じられると感じました。

▼書籍情報

働くことこそ生きること、何でもいいから仕事を探せという風潮が根強い。しかし、それでは人生は充実しないばかりか、長時間労働で心身ともに蝕まれてしまうだけだ。しかも近年「生きる意味が感じられない」と悩む人が増えている。結局、仕事で幸せになれる人は少数なのだ。では、私たちはどう生きればよいのか。ヒントは、心のおもむくままに日常を遊ぶことにあった――。独自の精神療法で数多くの患者を導いてきた精神科医が、仕事中心の人生から脱し、新しい生きがいを見つける道しるべを示した希望の一冊。

目次
第1章 生きる意味を見失った現代人(「何がしたいのかわからない」という悩み―「楽になりたい」というささやかな夢;「自分がない」という困惑―現代の「うつ」の根本病理 ほか)
第2章 現代の「高等遊民」は何と闘っているのか(夏目漱石の『それから』における“父の説教”;「働くこと」は何のためか ほか)
第3章 「本当の自分」を求めること(「本当の自分」は果たしてあるのか?;苦悩から脱した先にある「第二の誕生」 ほか)
第4章 私たちはどこに向かえばよいのか(「自由」という名の牢獄;愛と欲望の違い―見返りや支配を求めないもの ほか)
第5章 生きることを味わうために(日常に「遊び」を取り戻す;食という芸術 ほか)

著者等紹介
泉谷閑示[イズミヤカンジ]
1962年秋田県生まれ。東北大学医学部卒業。精神科医。東京医科歯科大学医学部附属病院、財団法人神経研究所附属晴和病院、新宿サザンスクエアクリニック院長等を経て、現在、精神療法を専門とする泉谷クリニック院長。99年フランスに渡り、パリ・エコールノルマル音楽院に留学。パリ日本人学校教育相談員をつとめた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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