「米が高い」は本当か?主食・農業支援・そして私たちの働き方について考える

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コラム

最近、米の価格が上昇傾向にあり、政治の場でも関心が高まっています。前任者の発言が問題となった中で、小泉進次郎氏が農林水産大臣に就任。これは単なる人事の話ではなく、「食」という国家の根幹に直結する大きなテーマでもあります。

今回は、私自身が感じている「米価格は本当に高いのか」「農業支援の必要性」「私たちの生き方との関係」について、素直な考えをまとめます。


一食100円で米が食べられるという奇跡

例えば、5kgで5000円のお米を買ったとしましょう。1食に100g使うとすれば、50食分で1食あたり100円です。

1食100円。

この価格には、生産者の手間や肥料代、農機の維持、収穫から精米・流通・保管・小売に至るまでのすべてが含まれています。仮に自分で田んぼを耕して生産しようとしたら、100円でお米を用意することはまず不可能です。

つまり、**今の米価格は高いどころか、むしろ「ありがたすぎる水準」**とも言えるのではないでしょうか。


農業は「産業」ではなく「国防」である

日本の食料自給率は年々低下しています。以下のグラフをご覧ください。

引用元 https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/012.html

これはカロリーベースでの食料自給率の推移ですが、ここ20年ほどで40%を切る年も出てきています。

輸入に依存するリスクは、国際紛争・天候不良・輸送コストの高騰など、さまざまな場面で顕在化します。米のような主食を国内で安定して生産する体制は、国家の安全保障にも直結するインフラです。

だからこそ、農業にはある程度の補助金が必要だと私は考えています。価格が合わずに農業をやめる人が増えれば、私たちは「食べるものがない」という未来に直面するかもしれません。


よくある反論とその応答

「収入が伸びない人にとっては、やっぱり米は高い」

たしかに、低所得層にとって食費の負担は重い問題です。しかし、課題の本質は「米が高い」ことではなく、「稼げる力がない」「賃金が伸びない」ことにあります。

だからこそ、問題の根本解決は「稼ぐ力を社会全体でどう高めていくか」にあると思うのです。

「補助金が多すぎると非効率な農業が温存されてしまう」

この指摘は正しい側面もあります。ただし、農業は自由競争で淘汰されるだけの「産業」ではありません。国民の命を支える土台だからこそ、市場原理だけに任せない安全弁として補助が必要なのです。

「“稼げ”という主張は弱者に冷たい」

もちろん、健康や家庭の事情で働けない人もいます。そうした人々を支えるセーフティネットは絶対に必要です。

ただ一方で、働ける人が「自分は弱者だ」と言い訳する空気が強くなると、社会全体が沈んでしまいます。だからこそ、元気に働ける人は「しっかり稼ぐ」ことが結果的に社会貢献になるのです。


現代は「分業」と「信頼」の社会。だからこそ、自分の本業を全うする

私たちはお米を作っていません。肉も魚も野菜も、誰かが作ってくれたものをお金で買っています。それが当たり前のように感じられるのは、「分業」と「信頼」の仕組みが高度に発展しているからです。

だからこそ、自分の専門性や仕事を通じて社会に貢献するというのは、原始時代には考えられなかった豊かさでもあります。


結論:本業に打ち込むことが、豊かな社会を作る一歩になる

「米が高い」と批判する前に、私たちはまず「ありがたい」と感じることができるのではないでしょうか。
そして、本業に打ち込み、自分のできることを精一杯やる
その積み重ねが、社会全体の生産性を高め、より豊かな未来をつくっていくのだと私は信じています。

以上です。

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